本人訴訟するきっかけとなった動機

本人訴訟するきっかけとなった動機

 私が本人訴訟を決意した動機は、保険会社が提示する過失割合で私の責任とされる過失理由について説明を求めたところ、納得いく回答を得られなかったことが原因です。
 交通事故は、追突か停止中に衝突された場合以外のほとんどは、過失相殺されるケースが多いようです。過失相殺は、動いている車同士の衝突の場合、運転者双方に原因(過失)があるとみなされ、事故によって生じたそれぞれの賠償額は責任の割合に応じて相殺するというものです。走行している車同士がある点で衝突するということは、双方の車両がそれぞれの地点を連続的に移動していることであるから、この場合運転者双方に過失があるとする解釈はなるほどと思えなくもない。すると、この解釈に従えば、われわれは車を運転する度に事故を起こしたり事故に遭ったりすることになる。ところが、われわれが日常的に車を運転したところで、そのような事は起こらない。それは運転者各自が交通法規を遵守しているものと推測されます。そこで考えられるのが過失である。広辞苑で過失について調べてみると、過失とは、「注意を欠いて結果の発生を予見しないこと」と記されています。
 一般に、車の運転免許を取得するのは、自動車教習所で交通法規について学び、法令の実際を運転の実務として習います。これに合格した者だけが免許を手にすることになりますが、公道での運転は実務として習った交通法規の実践になります。これを遵守しているかぎり事故を起こす確率は極めて低いものであると思います。そこで事故の事実を分析してみると、衝突の事実関係は衝突する者と衝突される者の関係として認識されます。すると衝突された被害者のどこに過失があったかとする疑問です。過失相殺は、事故で生じた加害車両の損害は被害者の過失が原因と認定されるものですから、当然のことながら加害車両に損害を与えた被害者の過失理由があることになります。私はこの点について保険会社に納得いく説明を求めたわけです。
 これに対する保険会社の事故処理担当者は、沈黙するか話を逸らすかして何も答えてもくれませんでした。そのため、示談案に応じない私に、事故処理担当者は終には妥協することを強い口調で迫ってきました。もちろん私は、意味不明な過失割合に同意できなかったのでこれを拒否しました。私が示談案に同意できなかったもう一つの理由は、事故の検証をしていなかったからです。本来、検証をしなければ過失の有無も過失割合も認定できない筈です。実際、保険会社が事故原因について検証していれば過失―交通事故における過失とは、スピード違反、脇見運転、飲酒運転といった道路交通法の具体的条項違反のことである―は、事故の原因(間接的要件としての過失)と結果の関係によって大凡特定できるものです。事故原因が特定できれば、過失理由の説明に何の困難もありません。事故はケースバイケースで起こっているにも関わらず保険会社がそれをしないのは、、判例タイムズ掲載の類似の事故態様を元に安易に事故処理を済まそうとしているからです。このように、意味不明な過失割合のどこに公正性公平性が担保されていると言えるでしょうか。
 そこで皆さんにお尋ねします。保険会社が交通被害者に提示する過失割合で、被害者に認定した具体的過失理由について、何か説明を受けた事がありますか。過失割合は被害者にも加害車両に損害を与えた責任があるというもの事実です。
 私の事例で言うと、保険会社は、判例タイムズ掲載の類似の事故態様を示しながら、「動いている車どうしの衝突である」から私にも過失があるという言い分に、私は、何となく、運転中のことだから自分でも気づかないところで過失を犯していたのではないかと思いました。喧嘩両成敗ということもあるので、交通事故はそんなものかなと軽く考えていました。
 ところが、冷静になって事故当日のことを思い起こしてみても、私の何処に過失があったのかどうしても分からないのです。そこで私は、保険会社の抽象的な説明に納得できなかったので、具体的過失理由についての説明を求めたのです。これに対して保険会社の事故処理担当者は、沈黙するか話を逸らすかして何も答えてもくれず、終には妥協することを強い口調で迫ってきました。もちろん私は、意味不明な過失割合に同意できなかったのでこれを拒否しました。それは、保険会社の提示する過失割合の根拠が、事故はケースバイケースで起こっているにも関わらず事故の検証もしないで、判例タイムズ掲載の類似の事故態様を元に、若干の修正を加えたものだったからです。
 このように、保険会社が過失理由の説明ができなかったのは、現地調査はしても現場検証しなかったことが原因ではないかと私は考えました。以後、示談交渉は、納得いく説明がなければ同意しないと決めていたので、事故より6ケ月過ぎても合意に至らず膠着したままでした。そこで私は裁判所に調停を申出ましたがこれも不調に終わり、本人訴訟に至ったのは事故より1年以上過ぎた翌年5月のことでした。
 次回は、この調停の件について呟いてみたいと思います。